ねりまの南西

旅行記、勉強や研究、思うことなど

お忍び長崎・佐賀紀行①

あと3県。
自分が全47都道府県踏破までの残す県の数である。高校生のころは部活の合間を縫って、大学時代はない金とある時間をふんだんに使って、いつかはやりたい全国制覇と。
残る3県はすべて九州で、長崎・大分・宮崎。また、通ったけど降り立ったことのない県も佐賀1県のみだった。
秋も深まりつつあった2019年の10月、ふと思った。「どこかへ行きたい」と。どうせ行くならまだ行ってないところへ行こうと決めた。
思い立ったが吉日、数年前ジャカルタに飛んだ時のANAマイルが残っていたため、それを使って長崎行の航空券を購入。訳あって休みだったこともあり、特に誰にも言わず、ひっそりと旅に出ることにした。
数日後、羽田からかなた九州の地へ飛び立った。

着いたのは18時30分ごろ。若干の遅れをもって長崎空港に到着。
中心部まで長崎県営バスで向かう。日本でも珍しい高速バスを運行する公営交通らしい。この便も高速道路を通って長崎市街へ行く。

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バスは長崎駅前の古いバスターミナルに着いた。昭和の日本が上り調子だった頃をそのまま残したような佇まいのビルで、遅いから営業していなかったが物産館も上にあるようだった。
ここから今日のお宿まで路面電車をつかって行く。赤色の方向幕の3系統で終点の蛍茶屋まで。

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路面電車は部活帰りの学生やお勤め終わりのサラリーマンでそこそこ賑わい、しばらくは立ち客もいる程度の混み具合だった。
古いモーターを唸らせ、車に抜きつ抜かれつ東へ進む。がらがらという轟音が響く車内も、信号待ちで止まると急に静まり返るから不思議だ。
終点に向かうにつれ徐々に人が減り、蛍茶屋に着くころには自分含め数人のみとなっていた。

この日は「かがみや」という古民家を改装したらしいゲストハウスをとっていた。一泊2200円。とてもお安いお値段である。
電停のある大通りから少しそれ、落ち着いた谷合いの住宅地を進む。あとで長崎はどこもそうだと知ったのだが、この辺り一帯猫がやたらたくさんいる。初日は墓場での会議を目撃し、翌日は民家の戸の桟で爪とぎをする猫も見た。
たまに道の真ん中に堂々と座る奴もいるが轢かれないかやや心配である。

お宿への入り口は小さい稲荷社の参道の道中にあった。小さいといえども誰もいない境内の夜はなかなか雰囲気がある。参道を進む半ばで右に曲がり、細い路地を進み建物へ。

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(翌日撮影した写真)
ありがちな2段ベッドの並ぶドミトリーではなく、畳の和室に3人が布団を敷いて寝るという形式であった。カーテンによる仕切りはあるものの、なんだか親戚の家に泊まりに来たような安心感があった。

宿のオーナーさんもいい人であった。高身長に丸眼鏡が特徴的な方だった。
長崎に来てから何も食べておらず、おなかもすいたので、宿の人におすすめの飯屋を尋ねた。
「かつら」という海鮮屋がとにかくおすすめだという。

行ってみると、いかにも地元感のあるアットホームなお店であった。
刺身定食とおすすめの日本酒をいただき、海の幸を味わう。
食べ終わり、落ち着いていると、隣で宿の人におすすめされたという話を大将としていることに気づく。
話に加わってみると、やはり同じかがみやに泊まっている人であった。

もうすぐ店じまいとのことなので会計をし、宿まで一緒に帰ることにした。

彼は会社を休職して暇だということで小旅行をしているらしい。
大学のころは世界中を回っていたようだ。特に南米の旅行が楽しかったらしい。

宿の談話室でオーナーさんも加わり、今までの旅の話に花を咲かせ、時間を忘れてしまうくらい熱く語らいあった。

論理的思考が放棄できない人間

昨日か一昨日にこのようなブログ記事がバズっていた。

"論理的思考の放棄 -  大遊 (Daiyuu Nobori) の個人日記" https://softether.hatenadiary.org/entry/20070324/p1

よくみたら13年前の記事でなんで今と思ったけど。
この記事の内容ははっきり言って、天才の思考回路ずばりそのものなので自分のような凡人あるいはそれ以下の人間にはさして参考にはならない。が、自分の思考がこのような人にしてみれば一段階下にいることはよくわかった。
天才は論理性を無意識下で自在に操れて、自分は彼が意識しないうちに操れる論理性すらみについていないのだ。
例えば、自分は学生のころからゲームを何度も作ろうと試してきた。テトリスの模倣品からギャルゲもどき、鉄道シミュレータ風のものまで様々なものに手は出してきた。だが、自分が許せるレベルのものは一度も完成することはなかった。入門レベル・試作レベルのものはあったとしても。
もちろん頭に何か思い浮かぶものがあったから着手したのだが、具体的には、テトリスのブロックをどのように表現するか?ギャルゲの絵はだれがどう描くのか?シミュレートする電車や路線の情報はどういうに設定するか?というあたりで行き詰った。動かしたいイメージはあるのに、手が動かなくなる。感覚は動くのに、論理につなげられない。
この時、頭に壮大な完成図が浮かんでいるような気がしている。だが、いまよくよく思い返してみると、具体的なものが何ひとつ決まっていないのである。この完成図は脳内でははっきりとした像があるのに、紙に書きだそうとするとたいてい細部があやふやなのである。おそらく寝ているときにみる夢に似たものだと思う。
逆に言えば、頭の冴えるクリエイティブな人はこの夢の中身を具体的に落とし込める力があるのだろう。それは、努力のたまものか、天性のものか、あるいはどちらもかはわからないが。

とにかく、本来は頭の中で浮かぶものは無数にあるが、それを具現化するのには、かなりの論理性が必要となる。
天才は、その論理の組み立てを感覚的にできるというだけなので、素人が感覚で挑んでもうまくいくわけがない。
当該ツイートのリプライだったか、平仮名を書くときの思考回路に似ているというツイートを見たが、まさしくその通りだろう。我々は何も意識せず日本語を自在に操れるが、これを日本語未学習者に感覚でやれと強いても何にもならないのと同じである。だが比較的ニッチな分野となるとその理論が見えにくかったりする。

とりあえず、まず平仮名を丁寧に習うところからかな自分は。

山梨紀行③

最後は富士五湖の一つ、本栖湖へ。富士山が綺麗に見える、千円札の裏側だから、という理由で友人に提案してみたところ、興味を持ってもらえたので出発。本当の理由はゆるキャン△でてきたから。
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若干雲がかかってますが富士山はそこそこ綺麗に見えました。
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わかる人にはわかる公衆トイレ


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ロッジとそこの中にあったなでしこのパネル

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カレーめん…
 

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ここで軽く腹ごしらえして、ぼちぼち東京への帰途に着きました。

 

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本栖湖の澄んだ湖水

 

山梨紀行②

山梨に行った話はこのブログの最初の記事なのですが、次回に続くと宣言して気づけばはや1年半…

嘘で終わらせないよう遅ればせながら更新します。

 

ほったらかし温泉で富士山を見ながら朝風呂を堪能し、あたたかい朝ごはんを食べた後、徹夜で甲州街道を突っ走ってきたこともあって、少し休憩。

 

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温玉揚げ屋は早すぎて開いてなかった。

 

ちょっとだけ寝て、元気も出たところで、次の目的地、昇仙峡へ車を走らせます。

 

昇仙峡は花崗岩の侵食により形成された渓谷で、柱状節理の大きな岩があちこちにそびえ立っている景勝地です。

駐車場から、とりあえず仙娥滝のところまで歩いて行きます。

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仙娥滝

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滝の上には神社があって、そこに願い札に埋もれた布袋さんがおりました。

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そこからさらに奥へ少しいくとロープウェイのりばが。

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時間の都合で今回は乗りませんでしたが、次に来ることがあれば乗ってみたいところです。

 

さらに続くかも

大学入学経緯の記

こんにちは。今日も元気だ空気がうまい。


もうセンター試験の時期なんですね。
あの時期特有の厳しめの寒さが今年はないので全然実感がありません。


今回は一筋縄ではなかった大学入学経緯をつらつらと書こうと思います。
読んでも有益なことはそんなにありません。
また、僕のクズさポンコツさがところどころ露呈しているかもしれません。


頭がぼんやりした状態で書いているので意味不明なところがあるかもしれませんがご了承ください。


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さて、高校3年までたいして勉強せずにきた自分にも、受験の年がやってきた。


とりあえずやりたいこともないけど、潰しがきくとの噂なので、経営学部を志望。大学はとりあえず目指す人が多かった神戸大学に。

 


途中から総合政策に興味を持ち始める。時期でいうと夏から秋にかけての頃。
きっかけは、かねてより都市や交通に興味を持っていたが、その中で文系でも携われるまちづくりをやってみたい、という思いからだった。
ここで、私立大は基本的に総合政策系を志望することに決める。


同志社大学政策学部のあるゼミでは、京都の商店街と協力し、活性化を考える、という内容のものがあることを知り、俄然興味がわいた。


時は流れてセンター試験。この頃、正直神戸大学は数学の二次試験がネックでほぼ無理であることが確実だった。
ただ、表向きには神戸大学を標榜し続けた。
形だけでも高いところを目指しておけば、その一段階下に収まることができるのではないか、そういう考えがあったからだ。この案自体は最終的に功を奏したと思う。


実際は、センター利用で関関同立に合格することを目指して臨んだ。あわよくば大阪市立あたりも狙う気持ちで望んだ。


結果、センター試験は自分としては大成功だった。
立命館大学関西大学の総合政策系の学部はセンター利用でほぼ合格確定。安心して私立と国公立に臨める形になった。


この時、第一志望は自分の中では同志社大学の政策学部に決まっていた。


そして、半月後、いざ同志社大学の一般入試に臨む。数日前からコンディション計画を綿密に立て、準備をした。この日どんな弁当の具材構成で行くかまでキッチリ決めていた気がする。当日、緊張しつつほぐしつつ、会場へ向かう。試験開始の合図とともに集中力を全開させ、できるところから埋めていく。今までやったことの全てを出し尽くせた気がした。
数日後、ドキドキしながらネットで発表を見る。結果、合格。目指していた、事実上第一志望の政策学部にめでたく行くことが出来た。とにかく嬉しかった。


…ここで終わりだったら良かったのだが…


そのあとには国公立の試験が控えていた。
国公立大学の出願だが、神戸大学大阪市立大学の経済・経営系の学部は数学の実力が足りず、まず断念。
その次の候補に上がったのが、大阪市立大学法学部、岡山大学経済学部、首都大学東京都市教養学部であった。
が、どこも自分にとっては同志社ほどの魅力は感じられなかった。法学部は違うと感じ、岡山に飛ぶよりは東京の方がいいと思い、内心は第二志望という形で首都大学東京に出願した。地方にありがちな国公立第一主義の高校だったので、表向きには第一志望ということにしておいた。


同志社には受かったけど、せっかくだから受けておこう。そんな気持ちで八王子へと向かった。橋本に前泊し、昼間は山下公園を散歩、夜は気晴らしにヒトカラ、そして東横インでアニメを見て過ごすなど、同志社の時とは比べものにならないくらいリラックスして臨んでいた。悪く言えば舐めプである。試験当日も、昼休みに行った生協でなぜか綾鷹2本買うと特製湯飲みが貰えるキャンペーンをやっていたので、お土産がてら買って試験場へ帰った。
どうせ落ちるだろうからと気楽に受験して地元に戻った。後期受験も首都大で出していたので、次回はついでに東京タワーでも行こうかな、と考えながら新幹線で下っていった。


数日後、のびのびリラックスして臨んだのが功を奏したのか、首都大学東京、まさかの合格を貰う。正直、かなり戸惑った。


苦笑いしながら、受かっちゃったよ、と。
親は万々歳の様子であった。さあすぐに入金にいくぞ、と半ば引っ張られる形で数日後すぐに銀行へ行った…。

 


この先が肝だけど続くかは気分次第

つくばで『恋する小惑星』さきがけ聖地巡礼(?)

2020年1月より放送開始の『恋する小惑星』。地学部に所属する女子高生の日常というきらら誌の中でもかなりマイナー(で地味め?)なテーマの作品ですが、個人的には高校で理科を地学選択にしていたこともあり、かなり親しみのあるテーマなので結構楽しみにしています。

で、もう既に原作は最新刊の2巻まで読了。その中に産総研jaxaに行く回がありまして、12月某日、興味を持ったので行ってみました。おそらくアニメでもやると思うので、先回りした聖地巡礼になるのかな?

(と言いつつ突然の思いつきで行っただけなので漫画のコマとの対応はほぼありません悪しからず…)

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まずは地質標本館へ。

入って正面に牡鹿半島の褶曲した地層のレプリカが展示されていました。(写真は撮り忘れ)

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展示室「地球の歴史」「生活と鉱物資源」「生活と地質現象」「岩石・鉱物・化石」のテーマごとに4室に分かれています。

高校地学で習った化石や岩石の本物の標本を見ることができて感動してました。

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のり巻きのような歯を持つ哺乳類、デスモスチルスの化石。
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富士山の地質立体模型
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ずらりと並ぶ鉱物や化石

写真撮り忘れたんですが、恋する小惑星で出てくる黄鉄鉱、自然にできたものなのにホントに綺麗な立方体でたまげたので皆さんも是非みて驚いて下さい。

 

げんあんりゅうかんはんせんか、カオシデ石ペ三ジュ白…

やたらと沢山あった地学の語呂合わせを思い出しながら巡りました。

 

 

続いて、隣にあるJAXAへ。

ここも地質標本館に続いて、恋する小惑星の地学部が見学に来ています。 f:id:r-snkisk:20191223132533j:image

彼女たちはたしかこのロケットの下で手を届かせようとぴょんぴょんしてました。

筑波研究所で予約せずに見学できるのは基本的には入ってすぐ左のスペースドームのみ。でもここだけでもなかなか魅力たっぷりの内容です。

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はやぶさ2」のレプリカや
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かつて使われた人工衛星
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歴代ロケットが並び
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そして「きぼう」の実験棟が展示してあります。

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記念撮影スポット。

 

ほかに「かぐや」や補給船「こうのとり」など、さまざまな日本の宇宙開発にかかわるものが置いてあります。

自分は素人なのでときたまニュースで流れる宇宙ステーションのニュースや、宇宙に何かが打ち上がるニュースをみても、そのそれぞれの目的にどんな違いがあるか意外と理解していなかったりします。ここでは実はどういう用途で使われたかも詳しく書いてあり、あの時打ち上がったものはそういう意味があったのかと、今更理解することも…。

時間の都合で解説員さんの説明は聞けませんでしたが、また行く機会があれば次こそは聞きたく思います。

 

地球と宇宙、どちらも時間、距離、大きさどこをとってもまさしく"天文学的数字"な世界。いつになっても、むしろ子供の頃よりさまざまなスケールを知った今だからこそ、そのロマンにとっぷり浸れる面白い分野だと、この2館を訪ねて改めて思いました。

 

 

 

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ゴミ箱のイラストかわいい。

 

峠の釜めしの容器でご飯を炊く

長年眠っていた峠の釜めしの容器でご飯を炊いてみました。備忘録代わりに記録を残しておきます。

発端はある朝、ご飯を炊こうと米びつをあさると、0.8合ほどしか残っていなかったことから。

若干とはいえ、1合以下で炊飯器に突っ込んでいいのかな?空焚きに近い状態にならないかな?と疑問に思ったところでふと、ある容器を残してあることを思い出した…

3年前に食べた峠の釜めしの容器を丁寧に持って帰ってきて、洗って保存してあったことを。

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↑だいぶ前に電車で食べた峠の釜めし

 

峠の釜めしというのは、信越本線・横川駅名物の駅弁で、かつては碓氷峠越えのための機関車増結の合間に、ホームで販売していたという。信越本線が一部廃止となった今は近くの横川サービスエリアや北陸新幹線の駅弁として主に売られている。

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↑画像:ウィキペディアより

(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/峠の釜めし)

 

釜めしという名の通り、小さな釜を容器として、中に炊き込みご飯が詰められている。この釜は決して釜を模した何かではなく本物の益子焼の釜で、焼き物独特の手触りと重みがある。そしてちゃんとした釜であるがゆえに実はご飯が炊けてしまうのだ。

 

説明は程々にしておいて、峠の釜めしの荻野屋公式サイトのレシピを参考にいざ炊飯チャレンジ。

https://www.oginoya.co.jp/tougenokamameshi/recipe.html

 

まず米を研ぎ、適量水を入れる。ここまでは炊飯器の釜で行った。そして峠の釜めしの容器に入れ、ふたをする。

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弱火で吹きこぼれて来るまで火にかける。

しばらくすると…

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お、本当に吹きこぼれてきた。

吹きこぼれてきた後はふたを1〜2cmずらしてとろ火にかける。中のご飯粒に水気がある程度なくなるまでこのまま。だいたい10分前後。

ご飯粒の水気がなくなってきたことを確認したら、そこから15分ほどふたをして蒸らす。

サイトのレシピにも念を押して書いてあるけれども、ここで絶対に15分ふたを開けてはならない。開けるとご飯粒の芯まで柔らかくならないそうだ。どこかで聞いた「赤子泣いてもふたとるな」と言うフレーズはこういう為だったらしい。

蒸らし工程の後、恐る恐る開けてみると…

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おお〜。

想像以上にいい感じに炊けてました。

 

さすが釜炊きということもあり、炊飯器よりふっくら炊き上がって、味も食感も良いものになってました。

思いつきで試してみたけど大成功。暇があればまたやりたいところです。