ねりまの南西

旅行記、勉強や研究、思うことなど

大学入学経緯の記

こんにちは。今日も元気だ空気がうまい。


もうセンター試験の時期なんですね。
あの時期特有の厳しめの寒さが今年はないので全然実感がありません。


今回は一筋縄ではなかった大学入学経緯をつらつらと書こうと思います。
読んでも有益なことはそんなにありません。
また、僕のクズさポンコツさがところどころ露呈しているかもしれません。


頭がぼんやりした状態で書いているので意味不明なところがあるかもしれませんがご了承ください。


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さて、高校3年までたいして勉強せずにきた自分にも、受験の年がやってきた。


とりあえずやりたいこともないけど、潰しがきくとの噂なので、経営学部を志望。大学はとりあえず目指す人が多かった神戸大学に。

 


途中から総合政策に興味を持ち始める。時期でいうと夏から秋にかけての頃。
きっかけは、かねてより都市や交通に興味を持っていたが、その中で文系でも携われるまちづくりをやってみたい、という思いからだった。
ここで、私立大は基本的に総合政策系を志望することに決める。


同志社大学政策学部のあるゼミでは、京都の商店街と協力し、活性化を考える、という内容のものがあることを知り、俄然興味がわいた。


時は流れてセンター試験。この頃、正直神戸大学は数学の二次試験がネックでほぼ無理であることが確実だった。
ただ、表向きには神戸大学を標榜し続けた。
形だけでも高いところを目指しておけば、その一段階下に収まることができるのではないか、そういう考えがあったからだ。この案自体は最終的に功を奏したと思う。


実際は、センター利用で関関同立に合格することを目指して臨んだ。あわよくば大阪市立あたりも狙う気持ちで望んだ。


結果、センター試験は自分としては大成功だった。
立命館大学関西大学の総合政策系の学部はセンター利用でほぼ合格確定。安心して私立と国公立に臨める形になった。


この時、第一志望は自分の中では同志社大学の政策学部に決まっていた。


そして、半月後、いざ同志社大学の一般入試に臨む。数日前からコンディション計画を綿密に立て、準備をした。この日どんな弁当の具材構成で行くかまでキッチリ決めていた気がする。当日、緊張しつつほぐしつつ、会場へ向かう。試験開始の合図とともに集中力を全開させ、できるところから埋めていく。今までやったことの全てを出し尽くせた気がした。
数日後、ドキドキしながらネットで発表を見る。結果、合格。目指していた、事実上第一志望の政策学部にめでたく行くことが出来た。とにかく嬉しかった。


…ここで終わりだったら良かったのだが…


そのあとには国公立の試験が控えていた。
国公立大学の出願だが、神戸大学大阪市立大学の経済・経営系の学部は数学の実力が足りず、まず断念。
その次の候補に上がったのが、大阪市立大学法学部、岡山大学経済学部、首都大学東京都市教養学部であった。
が、どこも自分にとっては同志社ほどの魅力は感じられなかった。法学部は違うと感じ、岡山に飛ぶよりは東京の方がいいと思い、内心は第二志望という形で首都大学東京に出願した。地方にありがちな国公立第一主義の高校だったので、表向きには第一志望ということにしておいた。


同志社には受かったけど、せっかくだから受けておこう。そんな気持ちで八王子へと向かった。橋本に前泊し、昼間は山下公園を散歩、夜は気晴らしにヒトカラ、そして東横インでアニメを見て過ごすなど、同志社の時とは比べものにならないくらいリラックスして臨んでいた。悪く言えば舐めプである。試験当日も、昼休みに行った生協でなぜか綾鷹2本買うと特製湯飲みが貰えるキャンペーンをやっていたので、お土産がてら買って試験場へ帰った。
どうせ落ちるだろうからと気楽に受験して地元に戻った。後期受験も首都大で出していたので、次回はついでに東京タワーでも行こうかな、と考えながら新幹線で下っていった。


数日後、のびのびリラックスして臨んだのが功を奏したのか、首都大学東京、まさかの合格を貰う。正直、かなり戸惑った。


苦笑いしながら、受かっちゃったよ、と。
親は万々歳の様子であった。さあすぐに入金にいくぞ、と半ば引っ張られる形で数日後すぐに銀行へ行った…。

 


この先が肝だけど続くかは気分次第